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2020年6月25日木曜日

以下はシェイブテイルさんの記事

あの歴史的なEUからの離脱の是非を問う国民投票から4年が経過しています。 今年1月にイギリスは正式にEUから離脱しました。 離脱後のイギリスが独立した主権国家として力強い経済成長を示して、世界に良い影響を与えること を望みます。

以下は4年前のシェイブテイルさんの記事から。
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2016-06-26 途上国に始まり、EUに終わる? 今日も英国EU離脱報道がまだ続いています。 英国はもちろんですが、英国での離脱派勝利から、ドイツ以外のEU主要国内でもEU離脱派が勢いづいているようです。 各国内でも、ドイツに牛耳られて一挙手一投足に規制を入れてくるEUに対する不満が大きくなっているのでしょう。 ただ、EUは英国を準加盟国扱いにするという情報もあり、ノルウェー、あるいはカナダに準じて処遇するとすれば、英国に対して常識的な幅の中でオプションを提示して、離脱させるという流れになるとすれば、英国の離脱問題自身は不透明性が高い今が問題のピークなのかもしれません。 それに対して主要加盟国から離脱運動が盛んになっているEUのあり方こそ、今後の焦点となっていくのではないでしょうか。 ところで、2011年秋ごろ、リーマン・ショックで個人は多額の負債を抱えたまま放置されているのに、サブプライムローンを売った側の大手金融機関の多くが救済されたという不公平などの理由から、ウォールストリートが占拠されたことがありました。  あのウォール・ストリート占拠運動もまた、直接的には欧州内に渦巻いていたEUに対する不満が米国に飛び火して発生したものでした。 その占拠運動の主導者のひとりは、デビッド・グレーバーという人物で、活動家でもありますが、本職はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの人類学教授です。*1 彼は人類学調査で赴いたマダガスカルで、経済危機によりIMFから多額の債務を受けざるを得なくなりその代償として厳しい緊縮財政を強いられ、マラリア駆除の予算さえ削減されて、人々の命が緊縮政策の犠牲になる状況を目の当たりにしました。 この経験により、本職の人類学の研究から負債と貨幣の関連、およびマダガスカルの状況から負債と緊縮政策との関連について深く関心を持った結果、前者からは現在の経済学に対する強い疑問をいだき、後者から活動家にも進んだようです。  シェイブテイルとしては、グレーバーはこう考えたのではないかと思います。  「現在の経済学の基本的な誤りから、世界中に間違った緊縮政策がはびこり、人々を苦しめている」と。 さて、グレーバーの活動家面についてはおくとして、人類学の研究からは2011年に重要な一冊の本が書かれました。 Debt: The First 5000 Yearsという本です。 とても興味深い本なのに500ページほどの原書で、買って読めずにいましたが、この本の骨子について解説した文献を文化人類学者の松村圭一郎氏が現代思想に書いてくれていました。*2 この文献もとても短いという訳ではありませんが、更に骨子に当たる部分を引用します。 (以下引用) -------------------------------------- 貨幣と負債の起源 貨幣の起源を語る経済学者にとって、負債はつねに貨幣のあとに発達したものだった。ずっと人類学がその誤りを指摘してきたにもかかわらず、経済学的には、信用貸しと負債は純粋に経済的な動機から生じるとされた。だから、負債が貨幣以前に存在するとは認められなかったのだ。経済学者は、交換の媒体としての貨幣が登場するまで、人びとは物々交換をしていたと考えた。社会が複雑になるにつれ、直接的な物々交換は煩雑になる。貨幣が媒体となってはじめて、市場が生まれ、取引がうまく機能するようになった。グレーバーは、この神話が想像の産物にすぎないという。  未開の物々交換を貨幣が代替していくという神話の基礎をつくつたのが、アダム・スミスだった。スミスは、貨幣が政治体制によってつくられたという考えを否定し、それ以前に貨幣と市場が存在していただけでなく、貨幣と市場こそが人間社会の基礎であると主張した。人間だけが、ある物を他の物と交換し、そこから最大の利益を得ようとする。その人間の性質が労働の分業につながり、人類の繁栄と文明をもたらした。政治の役割は、貨幣の供給を保証するなど限定的なものにすぎない。このスミスの観点が、経済が道徳や政治からは切り離され、それ自身のルールに則って作用するという考え方をつくりあげた。  グレーバーは、その説明には何ら根拠がないと指摘する。 人類学は、物々交換が異邦人や敵どうしのあいだで祝祭的、儀礼的に行われてきたことを示してきた。二度と会わない相手、継続的な関係を結ぶことのない相手との交換では、相互の責任や信頼を必要としない一回きりの物々交換が適切だった。  経済学のテキストでは、交換する人びとが親しくなることも、地位の差もないという現実離れした想定がなされている。じつさいに社会関係をもつ人びとのあいだでは、物々交換ではなく、贈与交換になる。それが、人類学があきらかにしてきたことだ。  洗練された物々交換は、むしろ国家経済の崩壊にともなって生じ。最近では、1990年代のロシア、そして2002年前後のアルゼンチンで、貨幣が使われなくなった。かって、ローマ帝国やフランク王国のカロリング朝が滅んで物々交換への転換が起きたときにも、硬貨を使わない信用取引が行われた。  古代エジプトやメソポタミア時代の紀元前3500年の記録も、硬貨の発明に先立って信用取引が行われていたことを記している。シュメール文明の時代に発明された硬貨の使われ方からは、貨幣が商業的な取引の産物ではなく、物資を管理するために官僚機構によってつくられたことがわかる。負債や市場での価格が銀貨で算定されても、それを銀貨で払う必要はなく、ほとんどが信用取引だった。グレーバーはさまざまな時代の資料を示しながら、物々交換の神話が虚構だと論じる。いわゆる「バーチャル・マネー(仮想通貨)」が最初にでき、硬貨はずいぶんあとにつくられた。さらに長い間、貨幣は一般的には使われず、信用取引を代替することはなかった。物々交換は、貨幣の一時的な副産物だったのだ。  では、なぜ経済学において、この神話が保持されてきたのか。グレーバーは、その理由は、物々交換の神話が経済学の言説全体にとって中心的だったからだと指摘する。 経済学には、物々交換のシステムが「経済」の基礎にあることが重要だった。個人と国家にとって何より大切なのは、物を交換することである。その視点から排除されてきたのが、国家の政策の役割だった。グレーバーは、貨幣をめぐるふたつの理論を参照しながら、国家と貨幣の関わりを考察する。 貨幣の信用理論と国家理論  貨幣の信用理論といわれる立場がある。この理論では、貨幣は商品ではなく、勘定のための道具だとされた。つまり、貨幣は物ではない。貨幣単位は、たんに計算の抽象的な単位にすぎない。では、物差しとしての貨幣は何を測っているのか。  その答えが負債である。信用理論家たちは、銀行券は1オンスの金と同じ価値の何かが支払われるという約束だと論じた。その意味では、貨幣が銀であろうと、金のようにみえる鋼ニッケル合金であろうと、銀行のコンピューター上のデジタルの点滅であろうと、関係ない。それらは「借用書」にすぎないのだから。  もうひとつの立場が、ドイツ歴史学派として知られる歴史家によって唱えられた貨幣の国家理論である。貨幣が計量単位だからこそ、皇帝や国王にとっての関心事となる。彼らはつねに国内で度量衡を統一することを目指していた。じつさいの通貨の循環は重要ではない。それが何であれ、国家が税の支払いなどで認めさえすれば、通貨となる。つまり通貨は政府への債務の印として取引されてきた。  近代の銀行券も同じだ。最初に成功した世代的な中央銀行であるイングランド銀行が設立されたとき、イギリスの銀行家連合は、王に30万ポンドのローンを提供した。その代りに、彼らは銀行券の発行についての王室の独占権を受けとった。今日に至るまで、このローンは返済されていない。最初のローンが返済されてしまえば、イギリス全体の貨幣システムが存在しなくなるからだ。  この観点から、国家がなぜ貨幣を用いて課税をするのかがあきらかになる。スミスが想定したように、政府から完全に独立した市場の自然な作用によって金や銀が貨幣になったわけではない。グレーバーは、むしろ貨幣と市場は国家によってつくられたと強調する。国家と市場が対立するというスミスに由来するリベラルの考え方は誤りで、歴史的な記録にもとづけば、国家なき社会には市場も存在しないのだ。マダガスカルでは1901年のフランスの占領によって、人頭税が課された。この税は、あらたに発行されたマダガスカル・フランでのみ支払いが可能だった。納税は収穫直後に行われ、農民は収穫した米を中国人かインド人の商人に売って紙幣を手に入れた。収穫期はもっとも米の価格が低い時期だった。  多くの米を売らざるをえなかった世帯は、家族を養えなくなると価格が高い時期に、同じ商人からツケで米を買い戻すことを強いられた。借金から抜け出すには、換金作物をつくるか、子どもを都市やフランス人植民者の農園に働きに出すしかなかった。それはまさに安い労働力を農民から搾り取るための仕組みだった。農民の手元に残ったお金は、中国人の店に並ぶ傘や口紅といった商品の消費に使われた。この消費者の需要は、植民者がいなくなったあともマダガスカルをフランスに永遠に結びつけた。1990年に革命政府によって人頭税が廃止されたとき、市場の論理はすでに浸透していた。 同じことがヨーロッパの軍隊によって征服された世界各地で起きた。 それまでなかった「市場」が、まさに主流派経済学が否定した「国家」によってつくりだされたのである。 --------------------------------------- いかがでしょう。 現代経済学が人類学調査の結果が否定する物々交換という神話を手放さないのは、経済学者にとっては現在の仕事の基礎を失うため、政治家にとっては、政府は小さいほうがいいという自分たちの主張の誤りを覆い隠してくれるから、というのは言い過ぎでしょうか。 シェイブテイルとしては、世界を変えるようなノーベル経済学賞が経済学者の世界からではなく、ちょっと会計をかじった人類学者から出るのではと半分冗談ながら思っています。

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当時のこのニュースの世界的影響や波及効果は凄かったですね。 Brexit国民投票で離脱派が勝利したことで、ドナルド・トランプがアメリカの大統領になれたのだと思います。

2016年8月21日日曜日

欧州連合は酷い組織

日本の大衆一般は欧州連合をどのように思っているだろうか。ヨーロッパ連合だから福祉が充実していて、民主的で協調性があって経済的にも良いだとか思っている方もいるのではないだろうか。
はっきり言いましょう。欧州連合は仲良し連合だというのは間違った認識です。

ニール・デービッドソンのお話。
欧州統合に向けての地味な動きは第2次世界大戦のすぐ後1947年に始まった。10月には関税及び貿易に関する一般協定(GATT)が署名された。これはソ連に対抗する必要があったからだ。 本格的なEUの起源は1957年のローマ条約と、欧州経済共同体(EEC)の設立である。イギリスでは共通市場と呼ばれていた。欧州経済共同体には4つの意図があった。
1)市場を個々の国家の国境をこえるサイズに拡大すること、
2)EEC内での保護主義を廃止し、EEC外との貿易には保護主義をとること、
3)ドイツとフランスに対抗できる国を含めること、(これができなかったらドイツとフランスは再び戦争を起こしていたかもしれない)
どうも保護主義が1929年の世界恐慌以後の経済恐慌の原因の一つだったという考え方があるようですが、これは間違った意見だと思います。
4)東西の冷戦でソ連に対抗する必要があった。アメリカもEECには反対しなかった。 この点は重要だ。欧州連合というのはアメリカに対抗するためのものだという誤った意見がある。 ウクライナやユーゴスラビア問題ではEU各国で足並みが揃わないことからも、EUがアメリカに対抗するものではないというのはないことがわかる。

EU内は不均一な構造で、大国だけが得をするシステムになっている。 小国ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアの命運は支配国ドイツが握るというようなシステムを作り出している。 それでいてEU外には食料の輸出ダンピングと輸入ブロックをかけるわけだ。 欧州連合のこれらの面は改革されるはずだとする意見があるが、されるかどうかは不透明である。ギリシャのヤニス・バルファキスなんかは別の欧州は可能だといって、EUの改革を考えている。 EUの問題点を詳細にかたりつつ、EUには改革が必要だといっている。だが、彼らはユートピア思想持ちなのであり、革命思想持ちではない。 EUが改革を行うならとうの昔にやっているはずである。
EUの主組織は選挙で選ばれていない者らが運営する。欧州中央銀行、欧州委員会、欧州理事会などである。EU加盟国は法律制定を主導できず、欧州委員会の決めたことに従うのが通例となっている。
ハイエクの1939年の記事The Economic Conditions of Interstate Federalismで、ハイエクは官僚が主導するEUのような組織を支持していた。 そこでは政治家や市民が市場の秩序を脅かすような要求ができず、経済政策は厳正なルールの下に置かれる。それはまさに新自由主義の一部である。
極左はEECには反対だった。 1970年代後半に出現し始めた新自由主義はEECにとって好都合だった。EECは資本主義の組織となった。 EUが労働者の権利や環境を守っているというのは間違いである。スコットランドの漁業はEUの共通漁業政策のせいで壊滅的となった。 魚の乱獲の問題はあるが、漁業に従事するものを他でどこに雇うかなどの代替案を出そうとしないEUが労働者をまもっているわけがない。
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欧州連合は本当に酷い機関だと思います。ハイエクが欧州連合のような組織運営を支持していたというようなことからして、新自由主義と欧州連合のつながりの深さを実感します。EUの運営はドイツや欧州委員会の独裁で、ギリシャなど周辺国の経済は恐慌が続いていて、難民は続々と押し寄せ現地の人々と衝突をし、シェンゲン条約によってテロリストが自由に活動できて、EUはこれにまともに対処できていません。左派はEUが労働者を保護しているなどどたわごとを言っていますが、フランスだって労働者の保護どころか安い残業代で労働者をこき使おうとしているわけです。 欧州連合が仲良し連合だという認識も間違っていて、最近ではギリシャがドイツを訴える計画でいます。 第二次世界大戦でドイツがギリシャを侵略し1943年にドイツ軍が317人のギリシャ民間人を虐殺したとギリシャが言っているわけですが、ギリシャはその戦後賠償金をドイツに支払ってもらいたいわけです。 賠償金は最高で4500億ドル(45兆円!)にまでのぼるそうです。戦争から60年以上経っているので、戦後賠償の話は解決していてもおかしくないはずです。ですがギリシャは昔の戦争犯罪をもちだしてドイツに抵抗したいわけです。これからも欧州連合が仲良し連合でないことがわかります。 またイタリアでは大手の銀行が潰れそうです。破産となれば公的資金が投入されますが、EUがイタリアを支援する時に、各国が協調するでしょうか。自分のところにも金くれと交渉するかもしれません。面倒なことになるでしょうね。テロ事件も続いています。EUにいるかぎりはEU移民を制限できませんし、EU移民に紛れてテロリストが侵入してくるかもしれません。昨年ドイツは100万人以上のシリア難民をドイツに入れましたが、このシリア難民が何年かして欧州連合の市民権を得てEUを動き回ることができるようになるでしょう。シリア難民の中にはテロリストも紛れているかもしれません。テロリストがEU内を自由に移動するようになれば大きな問題になります。このようなことを考えれば、イギリスがEU離脱を決めたのは正しい判断だということがわかると思います。

2013年9月4日水曜日

ミニブログ(1)ちゃんねる桜討論

水島さんが司会の番組。かなり深い議論になっていて面白い。
国のバランスシートは高橋洋一がはじめて作ったようだ。 「国の借金が1000兆円を超えて、利払いが~~以下略」というような情報に騙されてしまうような人はこれを見てほしいと思う。借金があるなら、その借金を貸している人たちもいるわけで、それは日本国民であるということ。政府が50兆円国債を発行してそれらを国内の投資家らが買えば、国全体のバランスシートのうち借り方に50兆円、貸方に50兆円それぞれ増えるだけである。 それよりも大事なことははやくデフレから脱却して、しっかりした経済成長をすることである。

言うまでもないことかもしれないが、念のため言っておきます。

消費税の増税など全く必要ありません。日本は世界最大の対外純債権国であり、海外へお金を支払う義務は実質的にはありません。経常収支の黒字は国内の投資先が少ないということでもあります。今の日本は国債を増発して需要を拡大させるべきです。経常収支黒字国が内需を拡大させなかったら、世界経済の成長の妨げになります。

2011年8月23日火曜日

リビア内戦(7)

今年8月にイタリアが公式にNATOに対し、リビア難民の救出を要請。これはリビア内戦が始まって以来はじめてイタリアがイニシアティブをとった格好だ。それら難民はリビアから脱出し、イタリア領であるランペデューサ島(地中海にあるぺラージェ諸島の一つ)を目指していたのだと考えるのが妥当。24000人もの難民の多くは、そのランペデューサ島にいるようだ。ランペデュ-ザ島はリビアやチュニジアから最も近く、難民としてもここを目指すことが目標だったはずだ。けれども渡航力の無い船で地中海を進むのは困難を極める。多くのリビアからの難民が今なお地中海上でさまよっている可能性はある。

NATOの軍艦が、リビアからの難民をほったらかしにしていたというレポートがあったが、今年5月にNATOがそれを否定した。NATOの司令官らは当然国際条約について熟知しているはずだ。これは、海上における人命の安全のための国際条約(Solas, 1974)と呼ばれている。これは主に商船にとって最も大事な国際法の一種である。
とりわけ5章では、海上安全の観点から、政府がその国の全ての船に十分な人員を配置させることがうたわれている。

イタリア外務大臣であるフランコ・フラティーニはNATOのイタリア大使に、NATOがリビアについての現行法を修正し、リビアからの政治的避難民を救助できるようにするための議論をスタートさせるように依頼していた。イタリアは、リビアを包囲するためにいるNATO軍が難民からのSOSに知らないふりをしていた
という報告について調査するよう要請した。がイタリアも様々な意見があるようで、上院議員の北方地方の総務であるフェデリコ・ブリコーロはNATOがすべきなのはリビアに集中攻撃をかけるだけでなくリビアからの難民ボートをブロックし本国に送り返すことだと述べている。このブリコーロと言う人はかなりの右よりだと推測される。

そうしているうちに、42年間続いたカダフィ政権は崩壊したという情報が入った。反体制派が首都のトリポリをほぼ陥落させたという。トリポリの緑の広場では多くの群集が反乱軍のトリポリ入りを祝った。少し前には、人口70万のミスラタがカダフィ軍の激しい攻撃に晒されていたが何とか反体制派が形勢を逆転させた。カダフィ大佐の近衛兵士も減少し、カダフィ軍は敗北の様相が高まっている。トリポリのあちこちで体制側が戦っているが、NATOの空爆が質・量ともに5ヶ月前とは比べ物にならないくらい激烈なっていて48時間に40もの空爆ミッションがあり、体制側が圧倒されている。NATOの空爆の精度は時期と場所にたぶんに依存するのだろう。特に体制側からの対空砲火が激しい時や砂嵐があるときなどは、精度はかなり低下すると考えられる。今年4月30日にカダフィ大佐の長男であるセイフ・アラブ氏や孫がNATOの空爆で殺害された時は、それなりの精度があったのだろう。今後はカダフィ政権後のレジームのあり方がリビア情勢の焦点になってくる。

それでも体制側は地下の隠れ家やトンネルに身を潜めていて、依然として抵抗はまだあるようだ。カダフィ大佐の生まれ故郷であるスルトから22日2発のスカッドミサイルが発射されたことをNATO側が発表した。トリポリ以外でもまだカダフィ軍と反体制側とで激しい戦闘が行われている。ズリテンの南2マイルなどは激戦地区である。

 リビア国民評議会のリーダーであるムスタファ・アブドルジャリルは、真の勝利はカダフィがつかまった時だと述べた。実際に少し前にカダフィ大佐の次男であるセイフ・イスラム氏(LSEへ2億円の寄付をした人)が反乱軍のトリポリ制圧の最中に反乱軍に捕らえられたという情報が流れたが、セイフ・イスラム氏本人がトリポリ内のホテルで支持者らに健在振りを示した。米国政府高官である、ジェフリー・フェルトマンによれば正確な居場所はわからないがカダフィは依然としてリビア国内にいるという。
 
カダフィ政権のプロパガンダだったリビア国営放送は、反体制側が通信機器を押さえた際にその放送機関から立ち去ったようだ。

22日、オバマ大統領は「カダフィは金銭的にも軍事的にも消耗していて、カダフィの部隊も弱ってきている。ここ数日でリビア情勢は大きく(クライマックスへ)動き出した。トリポリ市民は自由を主張できるようになっている。米国はリビアの友人でありパートナーだが、反乱軍には暴力的なあだ討ちという手段に正義を求めることには賛同できない」という類の声明を出している。英国のキャメロン首相はカダフィ大佐が、彼がリビア国民に行ったおぞましい行為についてしっかり(法的な)正義と向き合うことを望むと述べている。キャメロンはオバマのスタンスとはやや異なり、新しいレジームがリビアの方向性を決め、同時にカダフィ大佐への処罰をも決めるべきであると考えているようだ。英国は凍結していた120億ポンド(今の為替で約1.5兆円)にものぼるリビアの資産をリリースするようだ。ドイツもそれにならい70億ポンドのリビアの資産のリリースを検討している。国連トップのバン・ギムンはカダフィ政権後のリビアへのサポートに関しての話し合いを開くとしている。

反体制側がカダフィ大佐の邸宅のあるバーブ・アジジャ地区を制圧したと言うニュースも入ってきている。

2011年7月27日水曜日

ハーパー内閣(3)

今月22日、ノルウェーの首都オスロでの爆弾テロ事件とウトヤ島で起きた無差別射撃事件で多くの市民が犠牲になった。オスロでの死者は8人、ウトヤ島での死者は68人にものぼる。ウトヤ島では与党の労働党が党大会・集会のようなものを開いていて、そこを狙われたようだ。実行犯はキリスト教原理主義者のようであり、「多文化主義によって歪められたノルウェーを元に戻すために、またイスラム教徒の侵略からノルウェーと西欧を守るために今回の犯行に及んだ」という。ノルウェーの労働党は移民政策に関して比較的寛容であり、その政策を転換させることが容疑者の犯行動機だったと考えられる。たった一人の原理主義者の無差別攻撃によって多くの市民が犠牲になったことは痛惜の極みであり、深く哀悼の意を表したい。

オスロでは今月25日にオスロで追悼集会が開かれ、イェンス・ストルテンベルグ首相が「悪は一人の人間を打ち負かすことはできるが、ノルウェー国民全体を打ち負かすことはできない」と述べ、さらに集会に参加したホーコン皇太子は「今夜、通りは愛で満たされている」と述べている。この追悼集会には少なくとも10万人が参加し、参加者は赤や白のバラで哀悼の意を表した。

もともとノルウェーは治安の良い地域が多いようで、ストルテンベルグ首相が公共交通機関を利用したり、閣僚が警護員なしにオスロの町を歩くことも珍しくは無かったようだ。今回の事件で平和な町のイメージが損なわれる可能性はある。ましてや移民の増加で、治安に多少なりとも影響を及ぼしてくるのは必至だろう。480万人の人口をほこるノルウェーでは1995年から2010年までの15年間で移民の数が3倍になり、その数が50万人にも達している。一部の有権者が移民増加政策を危惧するのも無理は無い。

カナダのスティーブン・ハーパー首相は声明を出し、カナダはこの残酷で愚かな暴力行為を糾弾し、被害者や事件を目撃された方など全ての方へお悔やみを申し上げると述べた。ハーパー首相はカナダ国民を代表し、ノルウェーのストルテンベルグ首相とノルウェー国民に弔意を表した。カナダというと多文化主義を政府が公式に採用していることで有名だ。歴史的・世界的にはインドが多文化主義の先頭を走っていたのだろうが、欧米においてはカナダが1963年の二文化主義を検討しだしたことが最初だろう。(私の立場では、米国は他民族国家ではあるが多文化主義とはいえない。あくまでも英語が事実上の国語であり、スペイン語の公用語化は一部の州を除けば行われていない。日常生活・公の活動の場面でも英語の使用が当然となっている。)その後カナダではピエール・トルドー内閣において、1971年に二文化主義の採用で英仏2ヶ国語を公用語にし、ブライアン・マルルー二ー内閣の下で1986年に雇用均等法、その2年後には多文化主義法(Canadian Multiculturalism Act)を制定し世界における多文化主義の一種のモデルとなっている。CMAでは、多文化主義がカナダの遺産であることの認識それを保護すること、カナダ原住民の権利の尊重、(依然として英仏が公用語だが)英仏以外の言語の使用の可能性、人種・宗教に関係なく権利の平等、文化的マイノリティーの人たちが彼らの文化を享受することなどが盛り込まれている。

今年5月に行われた総選挙で、下院308議席中102議席を獲得し躍進した新民主党であるが、その原動力となった党首のジャック・レートンが病気のために一時的に党代表を退くことが決まった。今月25日にレートン氏本人からその発表があり、新たな癌を患い、その治療のために代表を一時的に辞任すると決定した。レートン氏は以前から前立腺癌と闘っており、また最近では骨盤骨折から回復したばかりだった。そこに新たな癌が発見されたために、政治活動よりも治療を優先することになった。

レートン氏が会見した後にハーパー首相がレートン氏と会談し、「レートン氏のあらたな癌と闘う勇気とその決断に励まされた」と述べた。レートン氏は今年の9月中旬から下旬には下院に戻ってくると述べ、ハーパー首相もそれを待ち望んでいると述べた。

そのハーパー内閣であるが、最近は欧州に圧力をかけ始めているようだ。
ハーパー内閣はオイル産業と良い関係を保っているようで、・・ 欧州でのカナダのロビー活動は環境保護に熱心なEUの議員にとっての脅威となっている。2年前よりこの傾向が顕著になり、世界の主要都市で、カナダ外務省によって結成されたOSTがかなりの規模のキャンペーンを展開している。彼らの活動は、国際ジャーナリストに働きかけタールサンドのメディア印象を高めたり、EU議会議員のためにアルバータへの視察旅行をセッティングしたり(もちろん公費)さらには猛然と反タールサンド政策へ反対するロビー活動を行ったりと多岐にわたる。英国政府はこの活動に圧倒されて、反タールサンドへの署名を拒絶するまでにいたっている。

OSTは他の大規模石油会社とも良い関係を保ってきているようで、BPやシェルなどと何度も密かに会談し、石油産業にとって利害が一致するような政策を練っているようだ。石油会社であり、国際石油資本のひとつであるトタルは2020年までに200億USドルをアルバータのプロジェクトに注ぐことを表明している。ハーパー首相自身も2010年6月にパリでサルコジ首相との会談の後に、トタルのCEOと密かに会談している。ハーパー首相には壮大な構想があるんだなと思う。2040年までにカナダを世界のエネルギー供給国として超大国の仲間いりを果たそうということだろう。
 
カナダはEUにおけるクリーンエネルギー政策をつぶそうとしている話もあるようで、彼らのエネルギー政策として、再生可能エネルギーではなく、化石燃料、しかも原油からタールサンド(粘度の高い石油を天然に含む砂)へのシフトを狙っているとも考えられる。このタールサンドはアルバータ州にみられるどろどろの瀝青で、石油への転換はかなりコストがかかり、工場近隣の住民への影響も懸念される。

欧州側は、対抗方針を打ち出し、クリーンエネルギー使用を全面に出してカナダからのタールサンド輸入を制限するようだ。この方針は、欧州でタールサンドに投資している石油企業がその分野から撤退するのを早める結果となる。また米国においても、キーストーンXLパイプラインが、カナダのアルバート州から、アメリカのイリノイ州やオクラホマ州へ原油をおくるパイプラインであるが、現在はヒラリー・クリントン国務長官らによる再調査・検討が行われている。

2011年6月17日金曜日

リビア内戦(5)

国債刑事裁判所はカダフィ大佐とその息子セイフイスラム氏、同国諜報機関の長であるAbdullah Sanussi氏への逮捕状を請求したが、その実効性に疑問符がつく。3年前にICCは、虐殺の罪でスーダンの大統領である オマル・アルバシール氏への逮捕状を承認したのだが、アルバシール氏はアフリカ諸国を逃げまわり結局その大統領を逮捕することはできなかった。今回のカダフィ大佐らの件でも同じことが起こるのではないかと思われる。またシリアやバーレーンでも同じような恐ろしい人権侵害がなされているにもかかわらず、リビアのケースにだけICCが関与するのは政治的なバイアスがかかっているといわざるを得ない。さらに言えば、アフリカ諸国のリーダーだけがICCの標的になっていることへの不公平感もあるだろう。アジア、ヨーロッパ諸国にだって内戦やジェノサイドが行われているためである。

しかし、現在リビアでおこっているカダフィ軍によるリビア市民への残虐な行為はいかなる理由を以ってしても正当化されない。人口約70万人のミスラタがカダフィ軍の激しい攻撃にさらされていて、2月15日の抗争開始から2ヶ月足らずで数百の市民が犠牲になっていることは既に書いた。そしてミスラタにいる反乱軍がNATOに援護を要請していることも周知の通りである。ミスラタにいる反乱軍はカダフィ軍との交戦の後に、カダフィ軍兵士が撤退の際に落としていった弾薬や武器を反乱軍のものとして活用している。

ミズラーターへの容赦ない攻撃は今もなお続いている。4月中旬からその都市へのカダフィ軍の攻撃が激しくなっていて、四方八方から攻撃をかけているようだ。そのため反乱軍は、防護壁や要塞を造りながら必死で防衛に当たりつつより一層のサポートをNATOに対して要請している。NATOはこの要請を無視していてこれが反乱軍の不満の要因になっている。NATOとの連絡係であるFathi Bashagaによれば、ベンガジにある司令塔へアパッチを投入しカダフィ軍と交戦するよう要請しているが回答を留保されているようだ。国連決議1973ではアパッチを投入できるだけの法的根拠となりえないと考えられるが、フランス軍と共に結局イギリスは6月上旬に4機のアパッチをリビア内戦へ投入したようだ。そしてフランスのメディアによれば、14のターゲットの破壊などそれなりの戦果もあげている。

それでもなお反乱軍のフラストレーションは減っていない。NATO側はミスラタ西方のカダフィ軍がミスラタへ大規模な攻撃を加えることが可能かどうかは明確ではないなどと悠長なことを言っているくらいである。それだけNATOの認識が甘いかもしくは大規模な空爆ができないことの口実としてそのようなことを言っているのであろう。また、NATO司令官らと反乱軍のコミュニケーション不足・連携不足で一般人が戦闘に巻き込まれてしまう懸念が高まっている。

カダフィ大佐に忠実なる学生リーダーがイタリアにて逮捕された模様。その学生リーダーは、リビア内戦における反乱軍の外交の代表であるアブドゥル・ラフマン・シャルガムを暗殺しようと企て、さらにはローマにあるリビア大使館を襲撃する計画も立てていたようである。そのリーダーの名はNuri Ahusainであり、イタリア国内でのリビア学生連合の長であり、anti-terrorist police によって彼の自宅にて逮捕されたようだ。Ahusain氏をリーダーとする犯行グループは十数名いるようであり、そのうちのAhusain氏のほかの2名が逮捕されている。シャルガム氏は2000年から2009年までカダフィ体制の外務大臣であり国連大使も務めていたが、今年2月25日に離反し、反体制側へついた人である。今年5月30日に記者会見の場に姿を現していた。

2011年6月3日金曜日

ハーパー内閣(2)

今年3月にステファン・ハーパー内閣への不信任決議案が156対145で可決され、ハーパー首相は下院を解散。今年5月上旬に下院の選挙が行われた。

選挙前の政党支持率はハーパー首相率いる保守党が37%、新民主党が30.6%、野党の自由党が22.7%の支持を得ていた。保守党以外の3党は2,3年以内に緊縮に舵をきることを公約にしている。過去に政権の座についたことのない新民主党は法人税増税と政府支出の増加(中福祉中負担というのが適切だろうか? トロント生まれのハーパー氏はこれを批判しているのでハーパー氏にとってはこれでも財政出動が足りないということなのだろう)、保護貿易さらにはCO2排出削減のための貿易システム構築などを掲げる。ハーパー首相は選挙期間中に他党への激しいネガティブキャンペーンを展開し、保守党こそがカナダ国民にとって最善の選択であると主張している。ハーパー内閣のその他の政策としては中絶禁止法案の可決(目下のところカナダでは中絶は合法とされている)や軍需産業への支出拡大が挙げられる。さらにはこれまでは政党へは個人献金だけが許され、政党への企業献金は禁止されていたがこれについての条件緩和なども行われる。


2006年に保守党が与党になって以来、ハーパー内閣は適切な経済政策をとってきた。個人消費を促すために、消費税の段階的引き下げを行ってきた。同国の産業にとって不利となるClimate change legislationを凍結してきた。また2008年の米国の金融危機の影響で多くの先進諸国の経済が悪化していく中、ハーパー内閣は政府の負債を大幅に増やす積極財政を継続させカナダ経済をリセッションから抜け出すことに成功させており、同国経済は先進国の中で極めてよい状態にある。
ハーパーはカナダのジョージ・W・ブッシュだと主張する人たちもいるのだが、明らかに経済政策において両者は異なる。ブッシュやレーガンが新自由主義で貧富の格差拡大や、富裕層優遇政策、挙句の果てにはサブプライムショックや金融危機などを起こし米国の失業率を10%にまで増加させたのに対し、ハーパーは積極財政にて経済を活性化させている。

注目の選挙結果は保守党が下院308議席中167議席を獲得し勝利、102議席を獲得した新民主党は最大野党になった。選挙前は77議席保持していた自由党は34議席と大幅に議席数を減らした。自由党党首のマイケル・イグナティエフ氏は敗北を認めている。トロントより出馬したイグナエフ氏自身も落選してしまった。4議席獲得するに留まったBloc Quebecoisも惨敗であり、その党首も落選している。(党首落選は2007年でのオーストラリアでの選挙を彷彿とさせる。)しかしながら獲得議席では保守党が約40%であったのに対し、自由党は約20%と、議席の差ほどには差がついていないことも留意しなければならない。

公約が実行に移されるかどうかだが、ハーパー内閣が消極的であった環境法への対応が気になるところである。前回述べたように、アルバータは世界第2位の石油埋蔵量をほこる。環境法の可決は石油輸出産業にとってマイナスになるためカナダの国益のためには可決を避けたいのだろう。


国際エネルギー機関(IEA)によれば2008年のカナダにおける原油産出量はおよそ100メガトン(Mt)であり米国の40%、日本の産出量の300倍に相当する。米国は人口が多いために原油の消費量も多く、輸出量は1.4メガトンとオーストラリアの1割程度しかない。それに対してカナダはおよそ70メガトンの原油を輸出できる資源大国である。またノルウェーの原油産出量がカナダに匹敵する(約100メガトン)ことは注目に値する。ノルウェーは産出量の9割にあたる90メガトンもの原油を輸出している。これがノルウェーがユーロに非加盟である理由かもしれない。もしユーロに入ってしまうと通貨下落のメリットを受けることができないので原油輸出に不利に働くのである。ノルウェーはかなりの貿易黒字国であり、その理由が今までわからなかったがこれが一つの要素であるといえる。

2011年5月26日木曜日

リビア内戦(4)

今年5月11日にカダフィ大佐が国営テレビ(Libyan state television)に出演し、共演者である部族指導者らによってカダフィ軍の勝利を祈願されたようだ。カダフィ大佐が公の場に姿を現すのは4月30日以来である。

NATOがカダフィ軍の補給路をたたいたとしてもそれらは勝敗の決定要因にはなっていない模様だ。けれども今年5月14日に、カダフィ大佐の妻であるサフィア氏と娘のアイシャ氏がリビアの代表者と共にチュニジアに入り、同国南部のジェルバ島(Djerba)に滞在しているという情報が入ってきている。一方アルジャジーラは、「チュニジア内務省がカダフィ大佐の妻と娘のチュニジア滞在を否定した」と報じている。このことからもカダフィ側も決して万全というわけではないことがわかる。

足並みが乱れているとはいえNATOは空爆を継続するようだ。今年4月30日にトリポリなどを爆撃したが、この空爆でカダフィ大佐の息子(Saif al-Arab セイフアラブ氏)や孫が死亡したと言われているが定かではない。カダフィ大佐は息子の葬儀には出席しなかったが、これは同氏がセキュリティに細心の注意を払っているためだという。それでも自分の息子の葬式に出席しないのはいかがなものかとトリポリにいるカダフィ体制の支持者も疑問を抱いている。LSEがカダフィ大佐の次男であるセイフイスラム氏から多額の寄付金(約2億円)を受け取っていたことは過去に述べたが、セイフイスラム氏は健在のようだ。

国際刑事裁判所(The International Criminal Court; ICC)がカダフィ大佐やその息子、その国の諜報機関などに逮捕状を出すことを検討しているようだ。これにより国連加盟国はもし彼らがその加盟国の領域に入れば彼らを逮捕することが要求されるようになるだろう。カダフィ大佐の妻と娘がチュニジア入りしたのはチュニジアがICC締約国ではないことと関係があるのだろうか。

その数時間後にトリポリとその周辺への空爆を行ったようだ。だがNATOによる空爆は精度が低く、この空爆自体にリビア国民を守るだけの効果があるのか疑問である。むしろこの空爆が罪無きリビア市民の生命を脅かしているという事実も否定できない。NATOの元少将であるChris Parry氏は、NATOによるリビアにおけるミッションは、はやくもイラクやアフガニスタンの二の舞になりつつあると述べている。また、リビアが無政府状態になる前に今回の軍事作戦を根本から見直す必要性を唱えている。実際にリビア内戦は膠着状態に入りつつある。労働党のShadow cabinet secretary of defenceであるジム・マーフィーは「NATOは事態を打開できておらず、もし英国が新たな軍事兵器・部隊を投入する計画ならば議会にそれをしっかり情報開示するべきである」と述べている。基本的には民主主義国家であっても軍事機密は一部の上層部が握っているわけだが、どれだけ情報をオープンにするかは国によって(国の成熟度によって?)異なるだろう。政権与党には政府を通じてそれなりの情報が入ってくるだろうが、野党だと防衛省の官僚とのコミュニケーションが与党に比べて少なくなる。少ない情報の中で新たな立法措置のための議論がまともになされる保証はない。

アパッチは攻撃用ヘリコプターとして1991年の湾岸戦争に投入され、米軍の戦力となった。アパッチを作戦に投入すれば標的への命中精度がより高まり誤爆を減らせるらしいが、マーフィーによればこのアパッチの投入によってリビア内戦が激化する恐れがあるという。また国連安保理決議1973では、飛行禁止区域設定、リビア市民の安全確保や即時停戦などを目的とした軍事介入が了承されたに過ぎず、アパッチ部隊展開によってカダフィ大佐を頂点とするレジーム(支配体制)を打ち倒す類の軍事行動が国際法上許されるかどうか議論が分かれる。そんな中フランスは既にヘリコプター部隊をリビア内戦に投入する決断を下していて、 この決定が英国議会にも影響を及ぼしている。労働党は、リビア内戦への同国の軍事介入をサポートしつつも野党としての監視により重点を置くとしている。与党である保守党の議員であるジョン・バロンは「アパッチが配属されるされないに関係なく、リビア内戦の激化は想定の範囲内であり、リビアのレジーム打倒が我々の軍事介入の目的だ」とまで述べている。保守党は国内向けには財政危機を煽り緊縮財政を強行しながら、対外的、とりわけコストを要する軍事行動には積極的のようだ。

現状の国連安保理決議ではNATOができることにかなりの制約があり、リビア市民を守ることはできるが積極的な戦闘行動をとれるわけではない。ドイツやロシアが棄権したほど安保理内で議論が分かれるような前回の国連安保理決議1973を上回る裁量権をNATOに与えるような新たな決議を得ることは相当難しいだろうし、実際可決したとしても誰が(どの国が)率先して地上部隊を派遣するのか見通しが立っていない。キプロスの沿岸に、万一に備え停泊している、駆逐艦や中型戦艦、さらには分遣隊からなるRoyal Navyを動かすことも視野に入れるべきとの見解もある。これらが動けばカダフィ軍への大きな圧力になるほか、NATOが少数の地上部隊の派遣という選択肢を得ることになる。

アフガニスタン抗争においても同様にNATOは地上部隊の派遣には極めて消極的である。理由は簡単で、犠牲者が増えるからである。コストについても同様で、Parry氏はリビアでの今回の作戦自体が安上がりになっているために十分な軍事行動をとれないことを危惧しているようだ。

リビアのスポークスマンであるMoussa Ibrahim氏は内務省ビルへの空爆は、ベンガジにいる反乱軍のリーダーに関する書類やカダフィ軍の資本がそのビルにあったためとしている。Ibrahim氏は、「もし本当にNATOがリビアでの停戦を望んでいるのなら、彼らはカダフィ側と何かしらの会談や和平交渉を行うはずだが、実際にはリビア市民を守るという大儀の下でリビアのレジーム打倒を行っている(目指している)」と付け加えている。このような連合軍によるリビアへの軍事ミッションは2003年のイラク戦争時に米国によるイラク侵攻が行われた際の手法とさして差がない。

2011年4月18日月曜日

リビア内戦(3)

英米仏が、リビア上の飛行禁止区域の設定などを定めた国際連合安全保障理事会決議1973 (安保理決議1973)を経て今年3月19日に有志連合という形でついに本格的にリビア内戦への軍事介入を始めたが、主要各国の足並みはそろわない。国連決議案1973にドイツ、ロシア、中国、ブラジルそしてインドは棄権。BRICS首脳会議ではNATOのリビア空爆に反対し、あくまでも平和的解決を求める声明を出した。ドイツ国内でも軍事行動には賛否両論である。

一方で、米国のオバマ大統領、仏国のサルコジ大統領そして英国のキャメロン首相は、ガダフィ軍によるミスラタ市民への殺戮を「中世の包囲攻撃である」とし、、 共同署名で「もし世界が(ガダフィ軍の残虐な行為を)容認するようなことがあれば、それは途方もない裏切り行為となるだろう」と声明を出している。

だが、NATO加盟国の多くが空爆に消極的だ。アフガニスタン抗争における空爆で戦費がかさんだためにリビアにまで軍事行動をかける余裕が無いのだろう。またPIIGS諸国の財政問題とそれへのECBの対応もこれに関係していると思われる。(自国に中央銀行がないユーロ圏の場合は、お金を刷って自国通貨の供給量を高めるという政策がとれないのである。それがその国の財政政策に影響を及ぼすのは必然だ。)その結束の弱まったNATOがカダフィ軍の補給路を叩いたのだが、依然としてその軍隊の態勢は崩れていないようである。というのも砂嵐がNATO軍の空爆に対する防護壁になっているからで、カダフィ軍はアジュダビヤー(人口15万の都市)の西部ゲートへの攻勢を強めている。先月アジュダビヤーはガダフィ軍によって包囲されたがNATO軍が空爆したことで、その都市を防衛することに成功した。しかしガダフィ軍による市民への無差別攻撃は続けられている。人口70万を誇るミスラタはカダフィ軍の激しい攻撃に曝され続けており、この2ヶ月の間に数百の市民が犠牲になったといわれる。前の記事でも述べたが、人口44万人のベンガジは反乱軍の拠点であり、人々はガダフィ軍の攻撃から逃れるためにベンガジへと向かっている。

ミスラタにいる反乱軍はNATOに地上部隊を派遣するよう要請している。だが国連安保理決議1973では、外国の軍隊によるリビア占領の項目を除外しているために政治家が更なる軍事行動に踏み切れないでいる。反乱軍はNATOの軍事アクションが不足していることを嘆いている。

ガダフィ大佐の生まれ故郷であるスルトにいた人の証言から、ガダフィ軍が捕虜に対して残酷な行為を行っていることがわかる。内容が恐ろしいのでこのブログでは書けない。これが真実だとすれば、これは明らかに国際法違反でありまた人道的観点からも決して許されないことだ。英国のキャメロン首相は「ガダフィ大佐が依然としてミスラタにて殺戮を行いその都市を支配下に置く意思があるのは、(私にとっては)疑いの無いことだ」、「そしてベンガジの支配権までも考えていて、もしガダフィ軍がベンガジを侵略すれば、間違いなく虐殺が起きるだろう」、「我々は市民を守るためにあらゆる手段を講じるべきである」と述べている。

カダフィ軍がクラスター爆弾を使ったという報道がされているが、簡単にそれを信じるのは危険である(リビア政府側はそれを否定している)。1990年代初頭の湾岸戦争のときには「フセイン軍が防衛のためにペルシャ湾に原油を廃棄した」などという報道がされたが、真実は米軍が誤爆したクウェートの石油精製工場やパイプラインから多量の原油が流出したことが原因であった。米軍が世界からの支持を得るために行ったでっち上げであったことがわかっている。またイラク戦争開戦の米軍の動機だった「フセイン軍が大量破壊兵器を保有している」というのは、その後のIAEAによる調査によって事実ではないことが確認されている。(同年IAEAはノーベル平和賞を得ている。)

しかしながらクラスター爆弾を使ったという証拠は、目撃者の増加と共につみあがってきているようだ。リビア政府はトリポリからジャーナリストがミスラタへ入ることを禁じている。 ヒューマン・ライツ・ウォッチは写真や軍事専門家からの証言を公開して、ガダフィ軍によるクラスター爆弾の使用の蓋然性を高めている。 ヒューマン・ライツ・ウォッチ の武器部門の主任であるスティーブ・グース氏は「ガダフィ軍はクラスター爆弾を使用し、結果として多くの不発弾がまき散らされ、多くの市民へ重大な危険性を与えている」と述べている。

クラスター爆弾の使用は100以上の国で禁止されているが、リビアはこの国際条約に署名していない。内政不干渉の原則があるとはいえ、人道的にはこのような兵器は全廃すべきだ。国際法の難しさを実感する。

2011年4月10日日曜日

リビア内戦(2)

およそ40年間リビアを統治してきたカダフィ大佐の忠臣による軍と反乱軍との戦いが今年2月15日に始まり2ヶ月を経ているが、既に先月17日に国連安保理がリビアでの軍事行動を容認する決議を採択(国連安保理決議1973 United Nations Security Council Resolution 1973)し、それに基づき英米仏を中心とした多国籍軍(ベルギー、オランダ、カナダ、デンマークなどが参加)が「オデッセイの夜明け」というリビアへの軍事作戦を開始している。決議1973の採決にはロシア、中国、ドイツ、インドそしてブラジルが棄権している。ドイツの棄権票はドイツ国内でも意見が二分されているようで、ドイツ前外務大臣のJoschka Fischerは、現外務大臣Guido Westerwelleが今回安保理決議1973に棄権したことを「スキャンダラスな過ちだ」とし、「ドイツは国連や中東での信用を失うだろう」と述べている一方で、世論はドイツ有権者の3分の2がドイツの軍事作戦参加に反対であり、Westerwelleの決断を支持している。Westerwelleは棄権票ではなく反対票を投じたかったがメルケル首相に説得され棄権としたと報じる新聞もある。

欧州中心の軍事行動は2003年のイラク戦争以来となる。3月19日には米軍のトマホークミサイル約100発がトリポリなどの軍事機関へむけて発射された。多国籍軍の指揮権はNATOに移ったが、そのNATOはリビアにおける飛行禁止区域の設定を国連決議1973によって強制し、即時停戦の要求、また加盟国へカダフィ軍からリビア市民を守るために軍事力を行使することを要請している。

南アフリカのZuma大統領がリビアのトリポリへ、停戦のための話し合いのために到着して、その後NATOによる空爆が行われた模様だ。Zuma大統領はカダフィ大佐との面会のみならず、反乱軍の拠点である人口44万人のベンガジへも訪れることになっている。

空爆はアジュダービヤ-(人口15万のリビアの都市)へ進軍する11両の戦車を破壊、またその都市の5倍の人口を誇るミズラーター郊外にて14両以上の戦車に打撃を与えた。また空爆によりカダフィ軍の補給路のための道路にクレーターができたという。

NATOの軍事作戦の指揮を執っているCharles Bouchardは 、カダフィ大佐とその軍はアジュダビヤーやミズラーター市民にも容赦ない攻撃をくわえていて、今回の空爆がカダフィ軍の兵器とその兵站機関を目標としたものだと述べている。

リビアでのオイル生産がおちこみ、たとえ反乱軍が原油生産を統治したとしても、生産量はリビア内戦前の3分の一にも満たないだろうと予想されている。今月8日には約30ヶ月ぶりに原油価格が1バレル$112を超えた。これが最近の欧州中央銀行の利上げにつながっている。

2011年3月6日日曜日

エジプト動乱(4)&リビア内戦(1)

ムバラク大統領退任ののち軍部が権力を得たエジプトに対し、そのお隣のリビアでは市民のデモと政府側による反乱デモ武力鎮圧のせめぎあいが続いているようだ。リビアの最高指導者はムアンマル・カダフィ大佐である。ムバラク氏が30年エジプトを治めていたしていたのに対し、ガダフィ氏は40年以上も同国を統治している。反乱は先月15日にこのガダフィ政権への抵抗運動として始まり、先月末までにはカダフィ政権はリビアの多くの都市で統治能力を失うまでになっていが、首都であるトリポリでは情勢は異なるようだ。ガダフィ政権は武力でこれを鎮圧しようとしている。一方、反ガダフィ勢力はNational Transitional Council を形成し抗戦にでている。カダフィ大佐は、 彼自身は名誉職についていて、権力行使できる立場ではないしリビア国民は彼を敬愛していると述べている。またガダフィ大佐は「オバマは良い人間だが、彼にはリビアの状況について謝った情報が伝えられている。またアメリカ自体が世界の警察ではない」とし、全体として米国には裏切られたと感じているようだ。

反ガダフィ勢力は英国に助言を求めていて、英国もこの反乱軍に梃入れをするためにエキスパートをリビアに派遣してる。これは内政干渉に見えるが、英国政府筋の情報では関連する国際法があるため反乱軍に武器を供給するようなことはしないのだという。リビア外務副大臣であるKhaled Kaim 氏によれば同国はベネズエラのチャべス大統領が提案した和平交渉にのるようだ。そのことは米国を怒らせているらしい。英国外務大臣であるWilliam Hague 氏はリビア前内務大臣であるアブデュル・ファッタ・ヨウニス・オバイディ氏との接触を続けている。このオバイディ氏は反乱軍の指揮を執っていてガダフィ大佐の後継者とみなされている。

・国連やNATOの対応
国連安保理は先月26日に、ガダフィ大佐とその家族の渡航禁止や資産凍結を科すリビア制裁決議案を全会一致で採択した。またこの決議には、市民デモ鎮圧が非人道的である可能性についても指摘しつつ、リビアへの武器輸入禁止や国際刑事裁判所(ICC)に捜索を付託することなども盛り込まれている。NATOはそれに加盟する国の集団的自衛権の行使のための条約機構のはずだが、飛行禁止区域を含めたリビアへの軍事アクションプランを練っている。それは米国からも批判されている(もちろん米国にはこれを批判する資格は無いが)。アフガン抗争にて無慈悲な大量空爆をやっているような機構がリビア飛行禁止区域まで侵入するということに恐ろしさを覚えるのだ。(そのようなお金があるにもかかわらずEUはPIIGSに緊縮財政を要求している。)

・LSEへの寄付金問題
London School of Economics (LSE) ではカダフィ大佐の次男であるセイフイスラム氏から多額の寄付金を受け取っていたとして非難されており、その責任をとる形で同大学ハワード・デービス学長が辞任した。セイフイスラム氏はLSEにて博士号を取得している。2009年の6月に150万ポンド(約2億円)の寄付金が同大学に納入される話がでたらしく、LSEのカウンシルがその寄付金を得ることは脅威だと感じつつも全てを考慮するとセイフイスラム氏の誠実な寄付だという結論を出した。同年10月にデービス氏がそれを後押ししたようだ。このセイフイスラム氏はこの寄付金でPhDを得たとの疑惑がある。デービス元学長はセイフイスラム氏の経済顧問としてトニー・ブレア政権の2007年時にリビアを訪れたことがあり、金融システムに関するアドバイスを送っている。デービス氏が彼の友人に、「私はただトリポリでコーヒーを飲んだだけで、単なる脇役だ」と語っている。またデービス氏は、セイフイスラム氏の卒業式の際に彼と会い握手をしたことがあるだけで夕食を共にしたことはないとも話している。

このデービス氏自身は国際人でありまた数々の政治家達と仕事をしてきたテクノクラートでもある。学生やスタッフの間で大変人気がある。学長の職に留まることも可能であったが、「大学の評判を傷つけたことに責任がある」、「判断を誤った」と述べつつ、責任を取るほうを選んだようだ。

2011年2月24日木曜日

エジプト動乱(3)

ホスニ・ムバラク大統領が今月11日に退任し軍部が政権を得たエジプトであるが、今月22日に(新政権である)シャティク暫定内閣のもとで新閣僚が就任した。数十年ぶりに野党からの入閣が実現したようで、新ワフド党のムニ-ル・アブデルヌール氏が観光大臣になりまたタガンマア党からも一人入閣した。けれども依然としてムバラク氏の影響は残っているらしく、外務相や国防相にはムバラク政権の閣僚を留任させたようだ。同国の司法当局は今月21日にムバラク氏とその家族(スザンヌ夫人、長男アラー氏夫妻、次男ガマル氏夫妻)の資産凍結を要請した。スイス政府はムバラク氏の退任後に時間をおかずにムバラクファミリーがスイス内に保有する資産の凍結を決めている。英国は今月21日に首相であるキャメロンがエジプトを訪問しタンタウィ軍部代表やシャフィク首相と会談した。キャメロンはエジプト現政府に完全な民主化(自由で公正な選挙の実施など)をする約束をさせたいらしい。彼はこの後リビアなど反乱がおきている中東・アフリカの国々を歴訪するようだ。既に内政では恐ろしい緊縮財政で、英国市民の怒りを買っているだけに外交で存在感をアピールしたい思惑がみてとれる。またイギリスが商業的にこれら中東・北アフリカに関心を示しているという宣伝効果もあるようだ。彼は現在のリビアとエジプトを対比させつつ、「リビアで今起きていることは完全にひどいことであり容認できない。リビア当局はリビアを見たがっている人々への抑圧をもっとも悪意のある形で行っていて、これらの行動が閉鎖的かつ専制的である」と述べた。キャメロンの考えでは、政治・経済的改革には進化するための機会があり、それら改革のプロセスはこれらの改革という目標と逆の方向には動かないのだという。そのヨーロッパの島国の首相は「改革は目標に向かって進んでいる。大きな(政治的)開放と改革は安定性と強い連携をもたらす」と述べているが、これは彼と保守党・LibDemの連立政権が今やっているような恐ろしい緊縮財政を正当化したいがためにこのような(経済改革賛美文句)発言をしているのだろう。

・ロシア副首相グーグルを非難
ロシアのセチン副首相はエジプト政治の混乱を助長させたとして米国グーグルを遠まわしに非難した。セチン副首相はプーチン首相の側近といわれプーチンの個人秘書を務めたりしている。オルガリヒ抑圧にはこのセチン氏が中心となっていたともいわれる。レニングラード大学の外国語課で働いていたこともあり、フランス語とポルトガル語に堪能らしい。(指導的立場にある人間が外国語に堪能であるというのは珍しいことではない。オーストラリアのラッド前首相は北京語を話すし、ドイツのメルケル首相はロシア語と英語に堪能だと聞く。)セチン副首相は「エジプトでなにが起こっているのかを我々はもっと調べる必要がある。グーグルの管理者たちがエジプトでなにをやっているのか、また民衆のエネルギーを操作する類のことが起こっているのかについても調べる必要がある。」とWall Street Journalの取材にて述べた。この言動の背景にはインターネットという現代のニューメディアが市民の団結に果たす役割が極めて大きくなってきていて、ロシアや中国などの言論統制の活発な政府もこれを無視できないという事情があるのだろう。事実、(目下のところロシアではネット規制は小さいようだが)中国では今月19日にネットの規制を強化する指示が中国政府によって出されている。

2011年2月17日木曜日

エジプト動乱(2)

米国の量的緩和第2弾(QE2)は世界的に穀物や原油などの価格に影響を与えているようだ。いくら金融緩和しても米国内に投資先がないとなると、海外に目が向かう。貨幣市場というのは主に短期の金融資産の取引のための市場であり、コマーシャルペーパーや銀行引受手形などが取引され満期も1年未満であることが多い。今回のQE2がこの貨幣市場を通して世界的に流動性をもたらしたと考えられる。特にエジプトはキャリートレード(通貨の金利差を利用して利益を狙う取引、すなわち金利の低い通貨を調達して金利の高い通貨に両替し運用すること)にとっては格好の場所らしく、かなりの低金利でドルを調達し高金利の債券などを買っていたといわれる。同国の中央銀行の金利は最低でも9.75%をキープしていたようだ。

一見してエジプトというとナイルの賜物として食料供給は高いと思われるが、実際はかなりの輸入依存国であり2009年の食料輸入額はその国のGDPの4.8%を占めている。したがってエジプトポンド(EGP)の下落は同国における食料品の価格高騰の大きな要素になったはずだ。

これによってエジプトでは高いインフレ率とそれへの対処の遅さのために国民が政府に不満を抱くようになったと考えられる。そしてチュニジアでの革命を契機としてエジプトでも反政府運動が活発になったようだ。個人的には、この米国FRBのQE2は「米国の国益」という観点からは当然であると考える。というのも政治家は自国民の生活や安全を保証する義務があるからであり、自国が不景気に陥っていて失業率も改善しないというときに政治家が金融緩和などの景気対策をしないというのは職務怠慢に等しいからである。その行為を非難するのはやはり内政不干渉の原則に反するといえるだろう。ただ一つ問題なのは米国が財政政策を過小評価していて、積極財政をためらっているということである。金融政策と財政政策は平行させるべきなのだ。そうすれば市場にお金を供給してもそれを国内の投資にまわすことができる。(ちなみにQE1では米国は顕著なインフレを経験しなかった。新規発行ドルが貨幣市場や債券市場に流れてしまったからである。)

ホスニ・ムバラク大統領は任期途中での退任を決めている。英国に対し、彼とその同僚のロンドンにある銀行口座(にある資産)を凍結するようにエジプトから公式に要請があったらしいが、英国外務大臣ウイリアム・ヘイグは英国国内法の観点から何かしらの不法行為もしくは資産乱用がない限りは 凍結はできないと述べている。口座の捜査の時期と程度はEUの金融大臣が決め、実際の捜査はSerious Organised Crime Agencyが行うようだ。野党である労働党は、速やかに口座の調査をすべきとしてキャメロン政権を批判している。

ムバラクの後には軍が権力を得たようだがそのリーダーであるMohamad Tantawiは政治経済改革には消極的であるようだ。経済改革は政治を不安定にするということと彼が高齢であることがその理由のようだ。確かに急速な改革は国民生活を不安定にするだろうし、中央政府が力を失えば供給力や有効需要の創出など政府が本来やるべきことができなくなってしまう恐れもある。エジプトが依然として治安が良くない国であることも否定できないために、警察など公的な治安維持部門がしっかりしないことには更なるカオスを呼び込んでしまう恐れもある。その一方で軍部と密接な関係を持つ企業が市場を寡占状態にもっていってしまう危険性もある。水やインフラ、ガソリンなど生活に必要なものであり本来は民主的政府によって公的に運用されるべきものが、一部の軍部御用達企業に売り渡され高値で市民に販売されるなどのことがあればエジプト国民の生活はさらに厳しくなる。民主主義の歴史が浅いだけに治安回復と民主化には時間がかかりそうだ。

エジプト動乱(3)へ続く

2011年2月9日水曜日

エジプト動乱(1)

今年(2011年)に入ってからの大きな事件の一つになるであろう。エジプトは2006年にアフリカネーションズカップを開催しそこで優勝までしている。ネーションズカップの優勝回数は同国が最多だ。ホスニー・ムバラク大統領は1981年から現在まで約30年にもわたってエジプトを統治していたとは驚きだ。何かしらの政治力学が働いていたこと(米国のバックアップなど)は間違いないだろうし、軍部への影響力もあったのだろう。エジプトでは60年にもわたって軍部(とビジネスや政治の寡占団体)が同国の支配体制の中核を担っていたといわれる。 

チュニジアでの反政府運動の影響を受け、今年1月25日よりエジプトにて反政府運動が顕著になりFacebookやその他のネットでの呼びかけによって約6~7万もの人々が反政府デモに参加したという。当然そのデモを軍隊が鎮圧しようとゴム弾や高圧放水銃、催涙ガスをデモ隊にあびせる。しかし、デモ参加者たちはそれに屈せず抵抗を続けた。軍部も一枚岩ではないようで、デモ隊には発砲しないことを明言した部隊もいれば、カオス的状況をもたらすような行為におよぶ部隊もあったようだ。前者に対しては、デモ隊が戦車を取り囲み兵士達に花をプレゼントするなどの和平的デモがなされたようだ。一方後者では、軍隊がデモ隊に反撃をすることもあったようである。

エジプト政府側はネットや電話など通信手段を遮断して対抗した(と思われる)が、グーグルやTwitterなどが協力して新たな通信サービスを始めたため情報へのアクセスはそこまで制限されなかったようだ。今年2月2日にはネット機能が回復したことが英国Vodafoneエジプト事業Vodafone Egyptや米国インターネット監視企業Renesysによって発表された。

エジプトの副大統領であるOmar Suleimanは、法改正がなされるためには確固たる治安が維持されるべきであり、今年秋の大統領選挙前にムバラク大統領が辞任することはないと述べている。欧米諸国はムバラク大統領に対して近いうちに辞職することを促しているようだが、これに対しムバラク大統領側は幾つかの友好国が彼に辞任を迫るのは不当であり、長年エジプトのために忠実に働いてきた自分は任期満了するべきであると主張している。エジプト憲法の76条や77条では大統領の任期や大統領への立候補条件などが示されているが、これらを200日以内に修正する用意は政府側にあるようだ。

Suleiman副大統領はタリル広場で抗議活動を行っている人々へデモ中止を求めている。ムバラク大統領は既に次期大統領選挙への不出馬の意思を示しているが、カイロ中心のタハリール広場では今月6日も大統領退陣を要求するデモが続いているようだ。少し前にSuleiman副大統領は、エジプト人は民主主義の文化を理解していないという心得違いかつ侮辱的な発言をし、さらには今回の反乱は外国人によって支援されているとまで述べている。これからしても現在のエジプト政府が現状を正確に把握していないことがわかる。

GuardianのAmira Nowairaは、彼らの政治意識は教育の質からくるものではなく束縛・圧迫に対抗するための人間のスピリットの体現であると述べている。エジプト市民の団結は長年の独裁政権がやってきた政治的蛮行をとめることが目的であるはずだ。人間にとって最も大事なものは(身体や思想の)自由であるからだ。長年米国の傀儡だと考えられていたムバラク政権への大きな反乱とともにエジプトは変わり始めている。
 
エジプト動乱(2) へ続く