2011年2月9日水曜日

エジプト動乱(1)

今年(2011年)に入ってからの大きな事件の一つになるであろう。エジプトは2006年にアフリカネーションズカップを開催しそこで優勝までしている。ネーションズカップの優勝回数は同国が最多だ。ホスニー・ムバラク大統領は1981年から現在まで約30年にもわたってエジプトを統治していたとは驚きだ。何かしらの政治力学が働いていたこと(米国のバックアップなど)は間違いないだろうし、軍部への影響力もあったのだろう。エジプトでは60年にもわたって軍部(とビジネスや政治の寡占団体)が同国の支配体制の中核を担っていたといわれる。 

チュニジアでの反政府運動の影響を受け、今年1月25日よりエジプトにて反政府運動が顕著になりFacebookやその他のネットでの呼びかけによって約6~7万もの人々が反政府デモに参加したという。当然そのデモを軍隊が鎮圧しようとゴム弾や高圧放水銃、催涙ガスをデモ隊にあびせる。しかし、デモ参加者たちはそれに屈せず抵抗を続けた。軍部も一枚岩ではないようで、デモ隊には発砲しないことを明言した部隊もいれば、カオス的状況をもたらすような行為におよぶ部隊もあったようだ。前者に対しては、デモ隊が戦車を取り囲み兵士達に花をプレゼントするなどの和平的デモがなされたようだ。一方後者では、軍隊がデモ隊に反撃をすることもあったようである。

エジプト政府側はネットや電話など通信手段を遮断して対抗した(と思われる)が、グーグルやTwitterなどが協力して新たな通信サービスを始めたため情報へのアクセスはそこまで制限されなかったようだ。今年2月2日にはネット機能が回復したことが英国Vodafoneエジプト事業Vodafone Egyptや米国インターネット監視企業Renesysによって発表された。

エジプトの副大統領であるOmar Suleimanは、法改正がなされるためには確固たる治安が維持されるべきであり、今年秋の大統領選挙前にムバラク大統領が辞任することはないと述べている。欧米諸国はムバラク大統領に対して近いうちに辞職することを促しているようだが、これに対しムバラク大統領側は幾つかの友好国が彼に辞任を迫るのは不当であり、長年エジプトのために忠実に働いてきた自分は任期満了するべきであると主張している。エジプト憲法の76条や77条では大統領の任期や大統領への立候補条件などが示されているが、これらを200日以内に修正する用意は政府側にあるようだ。

Suleiman副大統領はタリル広場で抗議活動を行っている人々へデモ中止を求めている。ムバラク大統領は既に次期大統領選挙への不出馬の意思を示しているが、カイロ中心のタハリール広場では今月6日も大統領退陣を要求するデモが続いているようだ。少し前にSuleiman副大統領は、エジプト人は民主主義の文化を理解していないという心得違いかつ侮辱的な発言をし、さらには今回の反乱は外国人によって支援されているとまで述べている。これからしても現在のエジプト政府が現状を正確に把握していないことがわかる。

GuardianのAmira Nowairaは、彼らの政治意識は教育の質からくるものではなく束縛・圧迫に対抗するための人間のスピリットの体現であると述べている。エジプト市民の団結は長年の独裁政権がやってきた政治的蛮行をとめることが目的であるはずだ。人間にとって最も大事なものは(身体や思想の)自由であるからだ。長年米国の傀儡だと考えられていたムバラク政権への大きな反乱とともにエジプトは変わり始めている。
 
エジプト動乱(2) へ続く

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