あの歴史的なEUからの離脱の是非を問う国民投票から4年が経過しています。
今年1月にイギリスは正式にEUから離脱しました。
離脱後のイギリスが独立した主権国家として力強い経済成長を示して、世界に良い影響を与えること
を望みます。
以下は4年前のシェイブテイルさんの記事から。
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2016-06-26 途上国に始まり、EUに終わる?
今日も英国EU離脱報道がまだ続いています。 英国はもちろんですが、英国での離脱派勝利から、ドイツ以外のEU主要国内でもEU離脱派が勢いづいているようです。
各国内でも、ドイツに牛耳られて一挙手一投足に規制を入れてくるEUに対する不満が大きくなっているのでしょう。
ただ、EUは英国を準加盟国扱いにするという情報もあり、ノルウェー、あるいはカナダに準じて処遇するとすれば、英国に対して常識的な幅の中でオプションを提示して、離脱させるという流れになるとすれば、英国の離脱問題自身は不透明性が高い今が問題のピークなのかもしれません。
それに対して主要加盟国から離脱運動が盛んになっているEUのあり方こそ、今後の焦点となっていくのではないでしょうか。
ところで、2011年秋ごろ、リーマン・ショックで個人は多額の負債を抱えたまま放置されているのに、サブプライムローンを売った側の大手金融機関の多くが救済されたという不公平などの理由から、ウォールストリートが占拠されたことがありました。
あのウォール・ストリート占拠運動もまた、直接的には欧州内に渦巻いていたEUに対する不満が米国に飛び火して発生したものでした。
その占拠運動の主導者のひとりは、デビッド・グレーバーという人物で、活動家でもありますが、本職はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの人類学教授です。*1
彼は人類学調査で赴いたマダガスカルで、経済危機によりIMFから多額の債務を受けざるを得なくなりその代償として厳しい緊縮財政を強いられ、マラリア駆除の予算さえ削減されて、人々の命が緊縮政策の犠牲になる状況を目の当たりにしました。
この経験により、本職の人類学の研究から負債と貨幣の関連、およびマダガスカルの状況から負債と緊縮政策との関連について深く関心を持った結果、前者からは現在の経済学に対する強い疑問をいだき、後者から活動家にも進んだようです。
シェイブテイルとしては、グレーバーはこう考えたのではないかと思います。
「現在の経済学の基本的な誤りから、世界中に間違った緊縮政策がはびこり、人々を苦しめている」と。
さて、グレーバーの活動家面についてはおくとして、人類学の研究からは2011年に重要な一冊の本が書かれました。 Debt: The First 5000 Yearsという本です。
とても興味深い本なのに500ページほどの原書で、買って読めずにいましたが、この本の骨子について解説した文献を文化人類学者の松村圭一郎氏が現代思想に書いてくれていました。*2
この文献もとても短いという訳ではありませんが、更に骨子に当たる部分を引用します。
(以下引用)
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貨幣と負債の起源
貨幣の起源を語る経済学者にとって、負債はつねに貨幣のあとに発達したものだった。ずっと人類学がその誤りを指摘してきたにもかかわらず、経済学的には、信用貸しと負債は純粋に経済的な動機から生じるとされた。だから、負債が貨幣以前に存在するとは認められなかったのだ。経済学者は、交換の媒体としての貨幣が登場するまで、人びとは物々交換をしていたと考えた。社会が複雑になるにつれ、直接的な物々交換は煩雑になる。貨幣が媒体となってはじめて、市場が生まれ、取引がうまく機能するようになった。グレーバーは、この神話が想像の産物にすぎないという。
未開の物々交換を貨幣が代替していくという神話の基礎をつくつたのが、アダム・スミスだった。スミスは、貨幣が政治体制によってつくられたという考えを否定し、それ以前に貨幣と市場が存在していただけでなく、貨幣と市場こそが人間社会の基礎であると主張した。人間だけが、ある物を他の物と交換し、そこから最大の利益を得ようとする。その人間の性質が労働の分業につながり、人類の繁栄と文明をもたらした。政治の役割は、貨幣の供給を保証するなど限定的なものにすぎない。このスミスの観点が、経済が道徳や政治からは切り離され、それ自身のルールに則って作用するという考え方をつくりあげた。
グレーバーは、その説明には何ら根拠がないと指摘する。 人類学は、物々交換が異邦人や敵どうしのあいだで祝祭的、儀礼的に行われてきたことを示してきた。二度と会わない相手、継続的な関係を結ぶことのない相手との交換では、相互の責任や信頼を必要としない一回きりの物々交換が適切だった。
経済学のテキストでは、交換する人びとが親しくなることも、地位の差もないという現実離れした想定がなされている。じつさいに社会関係をもつ人びとのあいだでは、物々交換ではなく、贈与交換になる。それが、人類学があきらかにしてきたことだ。
洗練された物々交換は、むしろ国家経済の崩壊にともなって生じ。最近では、1990年代のロシア、そして2002年前後のアルゼンチンで、貨幣が使われなくなった。かって、ローマ帝国やフランク王国のカロリング朝が滅んで物々交換への転換が起きたときにも、硬貨を使わない信用取引が行われた。
古代エジプトやメソポタミア時代の紀元前3500年の記録も、硬貨の発明に先立って信用取引が行われていたことを記している。シュメール文明の時代に発明された硬貨の使われ方からは、貨幣が商業的な取引の産物ではなく、物資を管理するために官僚機構によってつくられたことがわかる。負債や市場での価格が銀貨で算定されても、それを銀貨で払う必要はなく、ほとんどが信用取引だった。グレーバーはさまざまな時代の資料を示しながら、物々交換の神話が虚構だと論じる。いわゆる「バーチャル・マネー(仮想通貨)」が最初にでき、硬貨はずいぶんあとにつくられた。さらに長い間、貨幣は一般的には使われず、信用取引を代替することはなかった。物々交換は、貨幣の一時的な副産物だったのだ。
では、なぜ経済学において、この神話が保持されてきたのか。グレーバーは、その理由は、物々交換の神話が経済学の言説全体にとって中心的だったからだと指摘する。 経済学には、物々交換のシステムが「経済」の基礎にあることが重要だった。個人と国家にとって何より大切なのは、物を交換することである。その視点から排除されてきたのが、国家の政策の役割だった。グレーバーは、貨幣をめぐるふたつの理論を参照しながら、国家と貨幣の関わりを考察する。
貨幣の信用理論と国家理論
貨幣の信用理論といわれる立場がある。この理論では、貨幣は商品ではなく、勘定のための道具だとされた。つまり、貨幣は物ではない。貨幣単位は、たんに計算の抽象的な単位にすぎない。では、物差しとしての貨幣は何を測っているのか。
その答えが負債である。信用理論家たちは、銀行券は1オンスの金と同じ価値の何かが支払われるという約束だと論じた。その意味では、貨幣が銀であろうと、金のようにみえる鋼ニッケル合金であろうと、銀行のコンピューター上のデジタルの点滅であろうと、関係ない。それらは「借用書」にすぎないのだから。
もうひとつの立場が、ドイツ歴史学派として知られる歴史家によって唱えられた貨幣の国家理論である。貨幣が計量単位だからこそ、皇帝や国王にとっての関心事となる。彼らはつねに国内で度量衡を統一することを目指していた。じつさいの通貨の循環は重要ではない。それが何であれ、国家が税の支払いなどで認めさえすれば、通貨となる。つまり通貨は政府への債務の印として取引されてきた。
近代の銀行券も同じだ。最初に成功した世代的な中央銀行であるイングランド銀行が設立されたとき、イギリスの銀行家連合は、王に30万ポンドのローンを提供した。その代りに、彼らは銀行券の発行についての王室の独占権を受けとった。今日に至るまで、このローンは返済されていない。最初のローンが返済されてしまえば、イギリス全体の貨幣システムが存在しなくなるからだ。
この観点から、国家がなぜ貨幣を用いて課税をするのかがあきらかになる。スミスが想定したように、政府から完全に独立した市場の自然な作用によって金や銀が貨幣になったわけではない。グレーバーは、むしろ貨幣と市場は国家によってつくられたと強調する。国家と市場が対立するというスミスに由来するリベラルの考え方は誤りで、歴史的な記録にもとづけば、国家なき社会には市場も存在しないのだ。マダガスカルでは1901年のフランスの占領によって、人頭税が課された。この税は、あらたに発行されたマダガスカル・フランでのみ支払いが可能だった。納税は収穫直後に行われ、農民は収穫した米を中国人かインド人の商人に売って紙幣を手に入れた。収穫期はもっとも米の価格が低い時期だった。
多くの米を売らざるをえなかった世帯は、家族を養えなくなると価格が高い時期に、同じ商人からツケで米を買い戻すことを強いられた。借金から抜け出すには、換金作物をつくるか、子どもを都市やフランス人植民者の農園に働きに出すしかなかった。それはまさに安い労働力を農民から搾り取るための仕組みだった。農民の手元に残ったお金は、中国人の店に並ぶ傘や口紅といった商品の消費に使われた。この消費者の需要は、植民者がいなくなったあともマダガスカルをフランスに永遠に結びつけた。1990年に革命政府によって人頭税が廃止されたとき、市場の論理はすでに浸透していた。
同じことがヨーロッパの軍隊によって征服された世界各地で起きた。 それまでなかった「市場」が、まさに主流派経済学が否定した「国家」によってつくりだされたのである。
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いかがでしょう。 現代経済学が人類学調査の結果が否定する物々交換という神話を手放さないのは、経済学者にとっては現在の仕事の基礎を失うため、政治家にとっては、政府は小さいほうがいいという自分たちの主張の誤りを覆い隠してくれるから、というのは言い過ぎでしょうか。
シェイブテイルとしては、世界を変えるようなノーベル経済学賞が経済学者の世界からではなく、ちょっと会計をかじった人類学者から出るのではと半分冗談ながら思っています。
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当時のこのニュースの世界的影響や波及効果は凄かったですね。
Brexit国民投票で離脱派が勝利したことで、ドナルド・トランプがアメリカの大統領になれたのだと思います。
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