2016年8月24日水曜日

東京都知事選とこじたけん

Kojitaken氏の東京都知事選の分析記事をみたが、わかってないなという印象だ。 小池がダメなのはわかるが、その他の候補者がさらにダメだったというだけの話だ。 小池百合子の正体と小池に投票した左翼・左派・リベラルの「病理」 今回の東京都知事選及びそれに当選した小池百合子については、下記のさとうしゅういち氏のエントリ2件に示された分析が妥当だと私は考えている。 今回の東京都知事選挙は、はっきり申し上げて、以下のように総括できます。 やっとのことで、民進党から共産党まで乗れる候補者を擁立するには擁立した。 しかし、候補者の擁立だけで精一杯だった。 政策や、候補者決定の透明性が不十分なまま公示を迎えた。 こうしたことも背景に「右側」連合東京は鳥越候補を推薦せず、「左側」の宇都宮健児陣営も鳥越応援でまとまらず、小池候補に一部支持が流れた。 このため、鳥越候補は前回の宇都宮健児さんの票は上回ったものの、宇都宮+細川の合計票を大きく下回った。 小池候補は、先手必勝でかなり準備をしていたと考えられる。実質的には、小池候補が大きく先行し、そのまま逃げ切る選挙戦だった。 清新イメージをうまく醸しだし、左翼票の一部も切り崩す形で大勝した。翼賛選挙での四王天延孝中将の全国最高点での当選を彷彿とさせた。 蛇足ながらつけ加えると、小池百合子は政治思想面でも、2000年に現行憲法停止を主張して石原慎太郎と意気投合し*1、2003年には日本の核兵器保有を場合によっては認めても良いと毎日新聞のアンケート(「えらぼーと」の前身と思われる)と答え*2、2003年には月刊誌『Voice』で日本の核武装に関して極右の田久保忠衛及び西岡力との鼎談で「東京に核ミサイルを配備しよう」とブチ上げる*3など、筋金入りの極右である。 つまり、小池百合子とは筋金入りの新自由主義者にして筋金入りの極右政治家にほかならないのであって、左翼、左派、リベラルのいずれかを自認する人間であれば絶対に投票してはならない候補だ。だから、政治勢力のうちどのくらいの人たちが都知事選で小池百合子に投票したかが政治勢力の理非を測る尺度になり得ると私は考えている。 共同通信(他の多くのメディアの協力を得て行ったと思われる)の出口調査によると、共産党支持者の17%、社民党支持者の18%がそれぞれ小池百合子に投票した。これは、39%が小池百合子に投票した民進党支持者や、この記事の末尾に示す東京新聞の記事を参照すると民進党と同じくらいの比率しか鳥越票を確保できなかったという生活の党と山本太郎となかまたち支持者と比較して、共産党や社民党の支持者の方に理があることを示している。 前回の都知事選で宇都宮健児に投票した人は、同じ共同通信の調査で29%が小池百合子に投票している。これは、民進党や生活の党よりはマシだが、共産党や社民党と比較してはるかに悪いスコアだ。 宇都宮健児支持者の中には、共産党や社民党だけではなく、民進党や生活の党の支持者も少なからずいるであろうから、両政治勢力の中間であって当然だと思われるかもしれないが、少なくとも、宇都宮健児支持者の集団は、東京都の全有権者と比較して、政治的識見の高低において特に優れているわけではなく似たり寄ったりであるとは断言できる。少しでも真面目にものを考える(括弧の有無を問わない)左翼、左派、リベラルであるなら、「小池百合子にだけは絶対に投票しない」などというのは最低でも満たさなければならない必要条件であると私は確信するからだ。 今回の都知事選では、これまで共産党を批判したことなど一度も見たことがない人たちが、激烈な言葉で共産党を非難する例をちらほら見かけた。今回の「野党共闘」の候補者選びには大いに問題があったことや、鳥越俊太郎が物足りない(ある人たちにとっては許せない)候補であったことは事実だ。しかし、自陣が「野党共闘」に加わった共産党や社民党の支持者の集合と比較して、有意差のある高い比率で小池百合子への流出を招いたことを批判せずして今後の前進はあり得ない。その点で宇都宮健児支持者たちの自己認識は甘過ぎるし、支持者たちも、それに何よりも(以前から組織内においてファッショ的な性格があるとの批判を受けてきた)宇都宮選対もあまりに自分たちに甘過ぎると思うのである。 「きまぐれな日々」に、かつて2005年の郵政総選挙の結果に危機感を抱いてブログを始めたはずなのに、今ではその小泉郵政選挙を再現したとしか言いようがない小池百合子に対して「大甘」としか思われない記事*4を書くようになったブログ『日本がアブナイ!』や、今や政治への影響力をほとんど失った小沢一郎なんかを叩くのは止めて、巨悪を叩けなどと書いてきたコメントがあったが、安倍晋三への悪口などネットでもう10年以上書き続けている(安倍晋三が初めて総理大臣になる直前の10年前に、私は「AbEnd」なる造語を編み出し、「安倍晋三を終わりにする」などというスローガンを掲げていた)。その経験から、「下々」の人間の一人一人がいくら安倍晋三や橋下徹や石原慎太郎らの悪口を書いたところで、リーダーたちがしっかりしていなければどうしようもないことを痛感している。その観点からいえば、自陣営から29%もの人間が小池百合子に投票したことに何の問題も感じず、自己批判も政治勢力内での相互批判もできないような政治勢力には、その体質が改められない限り何も期待できないし、その体質に対して「下々」の人間は強い批判の矢を放たなければならないと私は確信している。もっともしっかりしてもらわなければ困る人たちが全くしっかりしていないから私は激怒しているのだ。民進右派だの連合だの、前回細川護煕に投票した人たちだの、ましてや自公支持者やネトウヨどもなどには期待するところなど何もないから、彼らに対する批判が宇都宮支持者や宇都宮選対の責任者たちへの批判よりもトーンが弱くなるだけの話である。 なお、上記コメントをいただいた方の他ブログにおけるコメントを私が誤読して筋違いな文章を書いたとのご指摘だったので、それに対しては遺憾の意を表明する。

0 件のコメント:

コメントを投稿